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2015年3月16日月曜日

弟怪獣は2才「ジジのあいぱっどはどこ?」

毎朝のように階下にいる孫が私達のいる寝室にやって来る。
男の孫が二人、兄弟怪獣と言っている。

弟怪獣は2才「ジジのあいぱっどはどこ?」。

最近はこの言葉から朝孫との会話が始まる。

私が「弟怪獣おはよう」と挨拶すると、「じいさんおはよう」と言う。
朝の挨拶の時だけ「じいさん」と言う。
それ以外は「ジジ」である。

iPhoneやiPadに興味があってYouTubeを出しては、好きな動画を観ている。
アンパンマン、ミュータント・タートルズ、アナ雪、そしてニンニンジャーである。
他にも幼児用のソフトが入っているので、それらを替るが替わる観ている。
ソフトは全て英語なのだが歌など直ぐに覚えてしまう。

昨日は久し振りに弟怪獣とお風呂に入った。
泣かずに身体や頭を洗う事が出来て良かった。
それまでは何時も泣かれた。

最後に湯船で20を数えてから出る事にしている。
孫と一緒に数を数えだす。

ワン、ツー、スリーと数えだしシックティーン、ナインティーン、、、、。

私は間違ってカウントしてしまった。
あれ!ジジは間違った。あかんねーと言いながら二人して大笑いしたが、ジジのボケはこんな所でも現れて来ている。

こまった、こまった。

2015年3月11日水曜日

親友だったK君が私の同棲相手の女を好きになった。

木屋町近くにあった「どん底」で親友2人とビールを飲んだ60年台半ばは、夜の京都をふらふら彷徨って虚しく家に帰る日が多かった。

同棲時代は、あの「成人の日私の思い出」の半年ほど後に始めた。

親友だったK君が私の同棲相手の女を好きになった。
それが「どん底」でビールを何ダースも空けた原因だった。

同棲は止めたがその女と付合いは続いていた。
私と女そして親友の3人で良く遊び、夜遅くまで飲みまくっていたのだから、当然親友とその女がそんな成り行きになっても仕方がなかったと思う。

その時は苦しかった、親友に裏切られ、好きな女の変身に
唖然としてこんな辛い事があるのか世の中は無情だ世間を恨んだ。男、女、友の醜悪な関係、人間の愚かさを思い知った。

アルバイトをしていた喫茶店も何軒か変わり、金額の良い夜のバー、クラブで働く様になっていた。
毎日が惨めに感じ何をしてても鬱陶しかった。

南座の向かい、四条通りはさんで北側にキャバレーがあった2階にいくつかのテーブル席とバーカウンターがありそこでバーテン見習いをやっていた。

ある時、そのテーブル席の一つに山城新伍さんが来ていた。ホステスは付かず一人静かにビールを飲んでいた。
誰かを待っていたのだ。裏地に派手な絵模様のある背広を着ていたのを覚えている。

楽屋では何時も裏社会の話、客の値踏み話、酔っぱらいのホステスの醜態を見ていた。馴染めなかった。
もう、このアルバイトも終わりにしょう、ある寒い夜に決めた。

このキャバレーを最後にアルバイト生活を止めた。

デザイン学校に通っていたが遊びが過ぎて休む日が多くなり自然と止める様になっていった。

新聞広告に小さなデザイン会社が募集していた。
面接に行くと本当に小さなオフィイスで「なんだこれ」と思った。4畳半に机が4つ2つずつ向かい合わせに並んで間に横向けに人が通れるだけの隙間があった。

デザイン等碌に出来ないし心配したがなんとか入る事ができた。これは嬉しかった。

雑用兼デリバリーボーイが主な仕事だった。
それでも母が作ってくれた弁当を持って京都駅近くのデザイン事務所に真面目に通った。



姉御がいるアルサロでアホをする俺たちを暖かく適当にあしらってくれた。







2015年3月9日月曜日

有無を言わせず「ズバー」とやってくれ

「花粉症撲滅センター」
花粉症で杉花粉に悩まされている私には嬉しい。
早速ウエブページを開いてみた。

http://www.kafunsyou-bokumetsu.jp/index.html

あんたに代わって杉、ひのきを伐採します。
お任せください。という物であった。

国、地方自治体がヤラナイのなら俺たちがヤリます。
宮崎県の木こり集団が立上がっているのだ。

あちこちテレビ等でも紹介があったらしい。

テレビはどうでも良いがむやみに多い杉の木は何とかならんのかと思っていたので、直ぐに賛同して寄付をした。

バッサバッサ叩き切って欲しい。
有無を言わせず「ズバー」とやってくれ。

ズバーじゃ時間が掛るのなら「ギュイーン」とチェインソーでぶった切ってくれ。
お願いします。

1本100円で切れる
私は11本お願いした。

少し鼻や目の具合が良くなった気がしている。
これで良いんだ。

2015年3月2日月曜日

俺の話を聞け〜!孫は耳をかさない。

孫怪獣たちはこのフレーズが好きだ!

俺の話を聞け〜!

兄怪獣が名前を呼んでもウンともスんとも返事をしない。

業を煮やして私が冗談まじりに節を付けてこの言葉を言ったのが始まりだ。

横浜のクレージーケンバンドの歌だった。
「タイガー&ドラゴン」強そうな歌だ。



俺の、俺の話を聞け〜!
私が、こう歌ったら兄怪獣が笑い出した。
それに呼応して弟怪獣も笑う。
私も入れて大笑いになった。

このまま兄弟怪獣と私で、くんずほぐれつして戦いが始まる。ミュータント・タートルズ孫亀と悪者の私で取っ組み合う。兄怪獣のパワーにタジタジとなり降参する。

ここから話が変わるが、「俺」は京都弁か?
私は生まれてから僕、俺、わし、私しか使用した事がない。
わい、わて、なんか言うたことないわい。

ヤフー知恵袋見たらこうありました。
「おら知らねえ」などの「おら」と同類のもの、です。
「おいら」は、江戸時代の町人が使う「自称」でした。
方言ではありません。しごく一般的な言葉です。
http://chiebukuro.yahoo.co.jp/tag/tags.php?tag=%E3%81%8A%E3%81%84%E3%82%89%2C%E6%96%B9%E8%A8%80

一般的な、この言葉は引っかかるな。



「俺らはドラマー」
色々オイラも有るけど今回は俺らはドラマーのオイラで行くぜ!
フックだチンだえ~いノックアウトだぃ!

裕ちゃんこと石原裕次郎、この方の兄で世間を騒がせては悦に行ってる暴走老人こと石原慎太郎、太陽の季節でチンポコが障子を破る破らんで調子に乗り、髪の刈り型で若者を煽動し、始終シナがシナがとアホの一つ覚えのように吼えたてている人とかが言いそうですね。

この旋盤の癖を知ってるのはオイラだけさ!」
鋳物工場のあんちゃん浜田光男の言葉で耳に残ってる。
キューポラのある街、埼玉の川口が舞台でした。

「オ~イラ三~崎の~、、、」ウン、、、岬かな?
若山彰さんがこのように歌い始める。
「喜びも悲しみも幾歳月」
高峰秀子、佐田啓二、木下恵介監督
映画館には観に行ってない。
歌のほうで良く覚えている。

「オイラ」なんて言った事無いなーと思っただけ。

では、兄弟怪獣と遊んできます。