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2015年3月11日水曜日

親友だったK君が私の同棲相手の女を好きになった。

木屋町近くにあった「どん底」で親友2人とビールを飲んだ60年台半ばは、夜の京都をふらふら彷徨って虚しく家に帰る日が多かった。

同棲時代は、あの「成人の日私の思い出」の半年ほど後に始めた。

親友だったK君が私の同棲相手の女を好きになった。
それが「どん底」でビールを何ダースも空けた原因だった。

同棲は止めたがその女と付合いは続いていた。
私と女そして親友の3人で良く遊び、夜遅くまで飲みまくっていたのだから、当然親友とその女がそんな成り行きになっても仕方がなかったと思う。

その時は苦しかった、親友に裏切られ、好きな女の変身に
唖然としてこんな辛い事があるのか世の中は無情だ世間を恨んだ。男、女、友の醜悪な関係、人間の愚かさを思い知った。

アルバイトをしていた喫茶店も何軒か変わり、金額の良い夜のバー、クラブで働く様になっていた。
毎日が惨めに感じ何をしてても鬱陶しかった。

南座の向かい、四条通りはさんで北側にキャバレーがあった2階にいくつかのテーブル席とバーカウンターがありそこでバーテン見習いをやっていた。

ある時、そのテーブル席の一つに山城新伍さんが来ていた。ホステスは付かず一人静かにビールを飲んでいた。
誰かを待っていたのだ。裏地に派手な絵模様のある背広を着ていたのを覚えている。

楽屋では何時も裏社会の話、客の値踏み話、酔っぱらいのホステスの醜態を見ていた。馴染めなかった。
もう、このアルバイトも終わりにしょう、ある寒い夜に決めた。

このキャバレーを最後にアルバイト生活を止めた。

デザイン学校に通っていたが遊びが過ぎて休む日が多くなり自然と止める様になっていった。

新聞広告に小さなデザイン会社が募集していた。
面接に行くと本当に小さなオフィイスで「なんだこれ」と思った。4畳半に机が4つ2つずつ向かい合わせに並んで間に横向けに人が通れるだけの隙間があった。

デザイン等碌に出来ないし心配したがなんとか入る事ができた。これは嬉しかった。

雑用兼デリバリーボーイが主な仕事だった。
それでも母が作ってくれた弁当を持って京都駅近くのデザイン事務所に真面目に通った。



姉御がいるアルサロでアホをする俺たちを暖かく適当にあしらってくれた。







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